異端、異能、異才が日本社会において生き残るには  

 日本社会には、異端を排除する側面の他に、異端、異能、異才を生み出す強力な土壌があります。本ページでは、異端、異端者、異端児が日本社会をどのように乗り切っていくかの方法論と、異端、異能、異才による日本の発展と世界への貢献を考えます。

I.異端、異端者、異端児と日本社会

1.日本社会の特質と、異端、異能、異才を輩出する土壌

 日本社会では、皆が同じに振舞うことが良いとされる同質的な傾向があり、和が大切になる。だから、異端、異端者、異端児は受け入れられないのだ、という論調が一般的です。それは、正しい面があるのですが、一面の真理にすぎません。

 日本社会の中で、異端、異端者、異端児は地獄の苦しみを味わう危険があるのですが、日本社会には異端、異能、異才を生み出す強力な土壌を有するという別の側面があるのです(異端、異能、異才に対する日本社会の親和性)。そこで、いずれの側面を引き出すかが、異端、異端者、異端児が日本社会を乗り切るために重要になるのです


                       表1.異端、異能、異才に対する社会の親和性の分析表

   アメリカ 日本  一部の国 
異端、異端児、異端者の扱い  人と違っていることを良いとする。異端、異能、異才を守ることこそが、国力を増加させることを、多くの人が本能的に知っている。恐るべき国である。  周りが異端、異端者、異端児を叩く。出る杭を打つ。しかし、人を罰することを嫌う国民性から、決定的な社会的抹殺(殺害、外国追放等)までは至らないことが多い。新しいものを受け入れる受容性が強く、意外にも、異端、異能、異才の芽を次々に輩出する土壌がある相当の国である。 本当に社会的に抹殺されてしまう。
異端、異能、異才の国力への貢献  才能を発揮し、国力を計り知れないほど増大させる。国民も、恐るべき国力の源泉を知っている。  叩かれて苦しんでも、異端、異能、異才の芽は次々に吹き出てくる。多くはつぶれてしまうが、生き残った異能、異才の活躍により、近代化をなし遂げ、一定の国力を確保する。  異能、異才は海外に流出(頭脳流出)。国を思う人は少ない。国力は伸びず、改革も近代化もできない。個々人は自己の利益ばかりを追求し、国としてまとまらない。発展途上国に留まる。
異能、異才、異端の待遇  人と違っていることは積極的に奨励されるので、生きやすい。 多くは、地獄の苦しみを味わう。しかし、出すぎた杭は打たれない場合もある。また、国民のまとまりが良く、国の利益(国益)になる場合、国民が一致して異能、異才、異端を応援することもある。  海外に流出してしまう。残った異能、異才、異端は弾圧され、社会に存在すらできない。


 日本社会は、たしかに異端、異端者、異端児を周りが徹底的に叩きます。しかし、別の側面では、異端、異能、異才にある意味では寛容な面もあるのです。周りはさんざん叩くでしょうが、叩かれても本当に社会的に抹殺(殺害、国外追放等)されるところまではいかないことが多いのです。冷や飯を食わされるでしょう。しかし、冷や飯は、まずいけれども食べられるのです。多くの異端、異能、異才の芽が、叩いても叩いても芽生えてくるのが、日本という国なのです。そして、異端、異能、異才の芽を、日本のために伸ばしていこうという勢力が意外に多く存在する国なのです。日本社会と異端、異端者、異端児との関係を考える場合、異端、異能、異才に関する日本社会のもう一つの側面について、もっと注目を集めていくことが重要でしょう。

2.異端、異能、異才の芽の大半は、厳しい社会環境により立ち枯れる

 たしかに、異能、異才、異端の芽の大半は、日本の厳しい社会環境により立ち枯れてしまいます。多くの場合、社会的に抹殺されるというよりも、多くの異端、異能、異才の若芽は、「こんなに割りのあわない話があるだろうか」と言って、より社会に適応しやすい平凡、凡才、大凡人への道を歩むのです。そして、異端、異端者、異端児から離れれば離れるほど、周りのバッシングも少なくなっていくのです。よって、日本では、踏みつけられても、麦穂のごとく立ち上がる強い性格の人でないと、異端、異能、異才として生き残れない傾向にあります。

 しかし、もっと広範な人が、異能、異才、異端として十分な活躍ができた方が、国力の増強には役立つでしょう。最近は変わってきていますが、日本は、国としてのまとまりが良く、日本全体を良くしていこうという傾向が強い国です。これは、日本の振興、再興、再生のために役立つのであれば、異端、異能、異才の芽を保護し、伸ばしていこうという動き につながっていくのです。たしかに日本は集団への同調圧力は強いのですが、特に国益を促進する外れ者、少数者に対しては意外に寛容な面もあり、支援をする勢力が現れる国なのです。

 日本は、科学技術立国、知的財産立国を推進しています。真の科学技術立国、知的財産立国が成し遂げられれば、優れた科学者、研究者、技術者、芸術家、学者等は、異端、異能、異才の苦しみを少しでも緩和できるのです。性格的に強くない限り、いくら給与や待遇が改善されても、異端、異端者、異端児の「周りと違う」という想像を絶する苦しみは、多くの人にとって全く引き合わないものでしょう。しかし、ある程度の社会的支援があれば、少しでも踏みとどまれる人を増やすことができるのです。

 異端、異能、異才の保護のためには、日本と世界の利益への関心を高めていくことも大切でしょう。異端、異端者、異端児は、絶対的な少数者です 。個々人が自分の利益ばかりを追求すれば、異端、異端者、異端児は多数派、多数者に蹂躙されることになるでしょう。異端、異能、異才の社会的な地位を高めていくためには、日本全体の利益、世界全体の利益という視点が必要なのです。


3.異端、異端者、異端児は、日本社会の良い面を失わせるのか 

 このような質問自体が、異端、異端者、異端児が社会の和を乱すというステレオタイプな見方であり、独創性を欠くものです。もちろん、和を大切にして、社会が円滑に回っていく点は、日本社会の美徳です。しかし、それと同時に、日本全体の利益を考えるの重要性を感じている人が多いというのも、日本の美徳なのです。諸外国と比べると、日本人は、自己の利益、自分だけの個人的利益ばかりを考えるのではなく、日本全体の利益を考える傾向が強いのです。

 昔、中国では、阿片戦争の際に、林則徐という人がアヘンを廃棄するという国のためになることをしました。明治期の日本であれば英雄となったでしょう。日本は、変革期には、異端、異能、異才が輩出され、従来の概念を打ち破って近代化をなしとげ、植民地化を逃れたのです。しかし、中国では、林は左遷されてしまいました。そして、中国は植民地化の歴史をたどっていくのです。

 林則徐は、アヘンを廃棄するという思い切ったことを自ら決断できる異端者、異能者、異才の者でした。その異端者を社会的に抹殺したことは、国全体の運命を左右したのです。日本よりも遥かに強大な潜在的な力を有する国も、異端、異能、異才を抹殺してしまえば、その国力は地に落ちてしまうのです

 日本は、見た目よりも柔軟な国であり、変革期には、国のトップや地方公共団体のトップにすら、異端、異能、異才が次々に現れてくる国です。日本は、見た目よりも底力のある国なのです 。この国が、何とか先進国の地位を保っているのは、異端、異能、異才を生み出す強力な土壌があるからなのです。

 日本社会の良い面とは、和を大切にして調和した社会を築いていくことだけではなく、人々が新しいもの好きで、伝統を大事にしつつも新しいものを受け入れることに寛容であり、異端、異能、異才を生み出す強力な土壌があることなのです。これは、初めは異端であった文化や技術が、日本で数多く花開き、現在では日本の産業競争力に貢献していることを見ても明らかでしょう。日本は、異常に凝り性な人(マニア)、究極まで技を極める人等が数多く存在し、強力な異端の風土を持っているのです。日本の異端の文化力、技術力は、決して小さなものではないのです

 日本は危機の時期に、多くの異端、異能、異才が輩出されました。明治維新を主導した人々の多くは、これら異端、異能、異才です 。科学者、技術者、芸術家ばかりではなく、政治家にも異端、異能、異才はいます。昭和期にも、石原莞爾など、異端、異能、異才が輩出されました。しかし、社会的な支援が弱く、その才能を十分に発揮できませんでした。

 社会的な支援の弱さが、もう少しのところで日本をだめにした例はいくつもあります。日本の社会的な支援が強ければ、ライト兄弟よりも早く飛行機を実用化していたかもしれない二宮忠八 も、その一例です。世界の飛行機の歴史に、日本人の名前が残らなかったのを残念に思うかもしれません。あなたがそう思ったとすれば、それこそが日本の底力を支えるのです。

 日本社会の良い面とは、何も和を大切にすることだけではないのです。日本には異能、異才、異端の輩出の土壌と歴史があるのであり、これは、日本社会の良い面の1つなのです。

II.異端、異能、異才を社会環境により立ち枯れさせないために

 異端、異能、異才の立ち枯れを防ぐためには、異端、異端者、異端児自身が、戦略を持つことが重要になります。まず、異端、異端者、異端児は、社会の中での絶対的な少数者であり、戦略なく日本社会の一方の側面にかかってしまえば、多数派、多数者に圧迫され、地獄の苦しみを味わいうるという事実に向き合う必要があります。

 そして、日本社会の異端、異端者、異端児を排除する側面に引っかからないようにするとともに、日本社会の異端、異能、異才を伸ばす側面を見つけて、その流れに乗っていく戦略が必要となるのです 。出る杭は打たれますが、どんな杭でも打たれるわけではないのです。

 インターネット等を利用して、異端、異端者、異端児の人々同士のネットワークを作ることも重要でしょう。異端、異能、異才に理解のある者を見つけて、仲間に引き入れていくことが重要です。

 異端、異能、異才は少数者ですが、異能、異端、異才に理解のある者は必ずしも少なくありません。モーツアルトが作曲をしたとき、ある大司教は支援し、別の大司教は支援しませんでした。モーツアルトに比べれば大司教は歴史的には無名ですが、いずれを選択したかは、モーツアルトとその後の人類にとって非常に大切なことなのです。

 次のように、異端、異能、異才に理解のある人々を集めていく必要があります。
  1. 異端、異端者、異端児自身
  2. 異端、異端者、異端児の苦しみを味わったが、小利口にもそこから逃げ出し大凡人になった人。
  3. 異端、異端者、異端児に少し足を踏み入れたが、小利口にもそこから逃げ出し凡人になった人。
  4. 日本を愛する者。異端、異能、異才が日本の国力増加につながる場合には支援しうる。
  5. 世界への貢献を考える者。異端、異能、異才が日本の国際貢献につながる場合には支援しうる。
  6. 寛容な人々。これらの人は、多様性を重んじ、異端、異端者、異端児に、居場所を与えようとする可能性がある。
 1だけでは数が足りません。また、異端、異能、異才自身は、性格が強いことが多く、お互いに衝突することも多いのです。ゴッホは、ゴーギャンと協調しようとしました。天才同士ですが、それはうまくいきませんでした。ゴッホは耳をそぎ落としました。これは、異端、異能、異才の想像を絶する苦しみと、異能、異才、異端の連帯だけでは、不十分であることを物語っています。

 そして、異能、異才、異端が、しばしば軽んじてしまう社会の細々とした雑事について、手当てをする人を探すことも有用でしょう。いわゆるパトロンは、芸術家の演奏がうまく行くように手配をする可能性があるのです。

 また、現代では、パトロンに代わり、知的財産権が重要となっています。異才、異能、異端が、経済的に保護されるためには、知的財産権についての理解を深めることが重要です。

 ありとあらゆる手段で、異能、異端、異才の才能を開花させ、日本と世界の発展を図ることが重要になるのです。

III.異能、異端、異才への理解を見極める

 社会の中で最小努力で上に上がっていく人々は、異能、異端、異才に理解が薄い傾向があります。大変な秀才層、エリート層、オーソドックスな本格派と言って良いでしょう。個人差はありますが、これらの人々は、社会適応で苦しむことが少ないため、異能、異才、異端に対する理解が乏しことがあります。

 異能、異端、異才への理解の一つの見分け方は、歴史上の偉人が不遇の中で死んだことについての意見を求めることです 。評価が確立している歴史上の偉人すら理解しようとしない人が、まだ名前の確立していない異端、異端児、異端者への理解を示すとは到底思えないからです。理解が薄い順に並べます。社会の上層部に、1や2の回答が見られるのは残念です。
  1. 不遇でも仕方ない。自業自得だ(理解なし)
  2. 不遇でも仕方ない。歴史に名前が残っているのだから良いのではないか(理解ほとんどなし。但し、歴史に名前を残すことを重視する人もいる)
  3. 不遇であったのは、惜しいことである(理解は若干ある。しかし、惜しいというのは異能、異才、異端が生み出した物の後世の人にとっての価値についてであり、異能、異才、異端自体に対するコメントではないことがある)
  4. 不遇であったが、好きなことをやったのだし、後悔はなかったので幸せではないか(理解はある程度ある。異能、異才、異端の境遇に自分を置いての発言である。しかし、その壮絶な苦しみの部分については、想像力に乏しい回答になっている)
  5. 不遇であってはいけない。そんなことはあってはならないことだ(理解がある)
 社会の中で最小努力で上に上がっていく社会適応度の高い人物は、社会の安定期においては、社会の上層部を占めています。江戸時代のような社会の安定期においては、異端、異端者、異端児に対し、社会が厳しい態度を採る傾向にあるのです。

 しかし、このような人物が理解を示さなくとも、諦めてはいけません。変革期においては、安定期においては社会適応度が低くて上に行けない人物が、社会のトップ層に相当数現れるのです。現在、日本は変革期にあります 。異端、異才、異能が、その才能を発揮する最大のチャンスなのです。

IV.異端、異能、異才と日本の明治維新の再来(日本の未来)

 素晴らしいアイディアを思いついたが、上司が拒んだため、技術者を辞めてしまった人がいます。硬直化した思考の上司が、人材を潰してしまうことも珍しくありません。中間管理職段階では、社会適応度の高い人々が幅を利かすことが多いのです。

 しかし、トップ層の場合、特に最高レベルの場合には、必然的に少数者としての悲哀を味わう人も増え、異端的色彩を帯びた人がかなり含まれているのです。また、企業や国のトップ層には国を憂う人も多く、異端、異能、異才を守る勢力は、探せば意外にあるのです 。歴史上、芸術家を支援した有力なパトロンなどにも、このような人が含まれているでしょう。

 このような人物は、特に変革期において、歴史上の慣例を打ち破り、破壊を行なうために多く現れるのです。織田信長なども、その一人でしょう。中国でも、曹操という人物が現れました。曹操は、治世においても社会適応度が高いが、乱世において異端、異能、異才となった異常な人物といえるでしょう。治世の能臣、乱世の奸雄(姦雄)です。中国は、その黄金時代には、世界最高レベルの国力、科学技術水準、文化水準を誇っていました。ある程度は異端、異能、異才が活躍する土壌があったのです。しかし、中国は異端の力を十分に生かせず、世界の覇権はやがて西欧へと移っていきました。そして、現在、異能、異能、異才の国であるアメリカが、世界の覇権国家となっています 。世界の歴史を動かしているのは、異端、異能、異才なのです。

 トップ層が、異端、異能、異才を重視する場合、トップに直訴することも考えられます。織田信長も、直訴しても、「無礼である」といって切り捨てるほど度量は小さくないでしょう。むしろ、従来の考えからは到底受け入れられないものでも、貪欲に取り込んでいくでしょう。信長は、百姓出身の豊臣秀吉でも、大いに出世させました。こうした器の大きな人物を見つけることが、異能、異才、異端にとって重要となります。

 異能、異才、異端は、従来の既成概念を打ち破り、人類に大きな貢献をする可能性のある人々です。異能、異才、異端を生かすためには、過去のしきたり等にとらわれない、信長、曹操、明治の偉勲のような人物が必要となるのです。

 明治維新において、変革期の日本を担った異能、異才、異端は、旧来の考え方を変え、日本を近代化に導きました。現在、日本は異端、異能、異才により、明治維新に匹敵する大きな変革 を遂げ、その国力を増大させるとともに、世界に貢献しなければならないのです。

V.異能、異才、異端の連帯による日本再生、日本復興、日本振興

 インターネットの社会において、異端、異端児、異端者は一人ではありません。昔は不遇の中で孤独に死んでいかなければならなかった異能、異才、異端は数多くいました。多くの歴史上の偉人の悲惨な生涯は有名です。

 しかし、現代は、異端、異端者、異端児がネットワークを作ることが可能になったのです。数は少ないけれど、異端、異能、異才は存在し、テクノロジーの進歩によって、このような少数者が集まることが可能になったのです。異端、異端児、異端者の連帯です。

 また、異端、異端児、異端者に踏みとどまった人ばかりではなく、異端、異端児、異端者に理解のある者、国を憂う者、国際貢献を重視する者、技術立国・知的財産立国の推進者、日本を愛する者等が、大きく連帯をする必要があります。



 理工系(理系、理科系)の人々は、日常の研究、開発等で、異端であることを要求されることが多いものです。理工系(理系、理科系)の研究者、技術者は、異端の方向に行けば、人付き合い等多くの点で社会への適応度は下がる傾向があるが、技術者、科学者、研究者としては異端であることが評価されうるという、矛盾する要請、二律背反に苦しむことが多いのです。 理工系の地位向上の会は、異端、異能、異才を含む理工系(理系)の広範な連帯による地位向上を目指しています。

 もちろん、異端、異才、異能は、理工系、理系、文科系、文系に限らず存在します。政治家、芸術家等の異端、異能、異才は、文系、文科系が多いでしょう。異端の連帯は、文科系、理科系を問わず、広く行なっていくことが望ましいものです。多くのサイトの連帯が必要です。異端の連帯を呼びかけるページとは、本ページは連携していきたいと思います。

 

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  異端、異能、異才を日本でアメリカ以上に保護する方法について(1月8日追加)

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